留学大図鑑 留学大図鑑

えまちゃん

出身・在学高校:
新潟県立新潟南高校
出身・在学校:
新潟大学卒業、ソウル大学国際大学院修士課程在学中
出身・在学学部学科:
教育学部学校教員養成課程英語教育専修、国際協力学専攻
在籍企業・組織:


最終更新日:2017年03月13日 初回執筆日:2017年03月13日

私の出発点―ソウルで学んだ1年間—

留学テーマ・分野:
大学生:交換・認定留学(日本の大学に在籍しながら現地単位取得を伴う留学)・哲学・心理・教育・児童・保育・福祉
留学先(所属・専攻 / 国 / 都市):
  • ハニャン大学教育学部英語教育学科及び国際語学院所属
  • 韓国
  • ソウル
留学期間:
1年
総費用:
1,750,000円 ・ 奨学金あり
  • (独)日本学生支援機構(JASSO)「海外留学支援制度」 840,000円

語学力:

言語 留学前 留学後
韓国語 挨拶など基本的な会話ができるレベル<ハングル能力検定3級> 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル

留学内容

1年間の留学では、国際語学院での韓国語の授業と大学の一般講義を履修した。
まず、語学院(語学堂)とは大学付属の施設で、主に留学生向けの韓国語の授業が開講されているが、大学の一般講義と異なる4学期制で、私は1日4時間のコースを毎日履修した。ハニャン大の語学院は6レベルあって1クラス15人以下の少人数体制なので、きめ細やかな指導と全員に発言の機会があることが大きな魅力だった。また、4技能のバランスがとれた授業も特徴で、力を着実に伸ばすことができた。
次に、学部の一般講義に関しては、2学期目から韓国語クラスと平行して履修した。履修した科目は当時の専門であった英語教育学科の授業のほか英文学や言語学を含む6つで、5つは英語、1つは韓国語で聴講した。90分の講義が週2回の科目もあれば1コマ3時間で週1科目もあったが、午前中の韓国語の授業を終えて午後からは毎日学部の専門科目を2コマほど受けていた。自分の実力不足に四苦八苦しながらも、レベルの高い環境で熱心な学生たちと学んだ日々は忘れられない。
とりわけ2学期目は沢山の授業を履修していたために多忙だったが、有意義な選択だったと思う。日本からの交換留学生は時間の余裕・語学力を考慮して語学院のみ通う人が多い印象を受けたが、特に学部での一般講義を通して、韓国でまた学びたいという新たな目標が生まれた。

留学の動機

留学の第一の動機は、語学力の向上だ。韓国語は大学入学後に初修外国語として学び始めたが、スピーチコンテストに出場したことで興味を深め、より上達させるには現地で学ぶことが最善の方法だと考えた。また、留学先で出会う人々との意思疎通や大学の講義を通して英語も磨きたいという思いが非常に強く、教育熱が高い韓国で学びに集中し「韓国語も英語も日常会話を難なくできる」ようになることを目標に据えた。

成果

韓国語・英語ともに表現の幅が広がり、日常的な会話をしたり、背景知識のある専門講義を聞いて理解したりできるレベルまで到達した。しかし、語学力の向上より、むしろ自らの視野・考え方の変化こそ一番の収穫だった。多様な国の人々に出会って優秀な彼らから多くのことを学び、以前に比べて外向きになれた。また、大好きな韓国で、更にレベルの高い環境を求めて再び学びたいという目標を持つことができた。

ついた力

厳しい環境に自らを適応させる力

第一に「異国で学ぶ」ということは、私にとって大きな決断だった。韓国には留学以前に10回以上訪れていたものの、20年間一度も家を出たことがなかった私には全てが新しかった。また、留学終了直前にスケートで大怪我をして救急車で運ばれ、一時帰国して手術・リハビリをしてから、最終試験のために韓国に戻った苦い経験もある。振り返ればその都度適応力を発揮していたが、これは外に出たからこそ身につけ発見できた力だろう。

今後の展望

1年間の交換留学を通して(1)韓国の大学院に進学する(2)韓国語・英語を活かせる職に就く(3)海外に住むという目標ができた。そして私は今、ソウル大学の大学院(修士課程)で国際学を学んでいる。2016年3月に大学を卒業し、同年9月に大学院に入学した。2017年1月現在1期目が終了した段階で将来の方向性は具体的に定まっていないが、外交関係に興味を持っている。

留学スケジュール

2014年
2月~
2015年
2月

韓国(ソウル)

大学2年生終了後の2014年2月より、新潟大学から学校間協定の交換留学生としてハニャン大学に1年間留学した。留学期間中は構内の寮に滞在した。
留学前半は、語学院の韓国語クラスのみ受講し、韓国語の実力向上に努めた。また、新学期には多くのサークルが新入生を募集するが、私は国際ボランティアの団体に加入した。2学期目は、大学の専門講義も履修したが、語学院が13時に終わり、午後の1コマ目が13:00~14:30で2コマ目が14:30~17:30という日もあり、周囲に驚かれるほど忙しい日々だった。
留学終了直前の2015年1月には、ソウル市庁前のスケートリンクで転倒し、手術とリハビリのために授業を休んで一時帰国するアクシデントがあったが、その後韓国に戻って試験を受け1年間の留学生活を無事に終えることができた。

費用詳細

学費:納入総額

540,000 円

住居費:月額

28,000 円

生活費:月額

40,000 円

項目:保険代、渡航費(5回分の往復航空券代)、教材費等

400,000 円

韓国の伝統衣装チマ・チョゴリを着てパシャ!
私のホーム、足繁く通ったハニャン大学の教育学部
日常の一コマ~美味しいご飯は毎日の楽しみ~
費用詳細

学費:納入総額

540,000 円

住居費:月額

28,000 円

生活費:月額

40,000 円

項目:保険代、渡航費(5回分の往復航空券代)、教材費等

400,000 円

スペシャルエピソード

留学中にやってしまった、私の失敗談

留学終了直前の2015年1月。冬は氷点下10度以下にもなるソウルでは、毎年冬季限定で市庁前に屋外スケートリンクが設置されるが、その日はアメリカ人の友人と訪れていた。
新潟にはスケートリンクがあまりないために、アイススケートはとても新鮮で楽しいものだった。とはいえ、そのリンクでは数回滑ったことがあったものの未だ初心者の私。ターム終了の笛が鳴り出口に向かって滑っていた時のこと。スピードが出ていたのか、安心感が先行していたのか……。後ろ向きに転倒し、腕のつき方が悪くその衝撃で肘の骨を折ってしまった。スタッフの方がすぐに来て医務室に案内してくださり、救急車で病院に行って診察を受けたが、手術が必要だと言われた。そのときのショックは忘れられない。母が航空券をとってくれ、2日後に帰国した。
日本に戻って手術を受け、リハビリが始まった。以前にも膝の怪我で手術の経験があったため、治療自体に恐怖感はなかったが、私が最も恐れていたのは「時間」だった。2月末で留学終了だったため、最終試験や友人たちとの約束が控えており、焦る気持ちが募った。入院している間にも色々なことが進んでいるのだと思うと悔しかった。
その後ソウルに戻って最終学期を終え、無事に完全帰国できたが、1年の中で最もショッキングな出来事となった。しかし、乗り越えられたのは病院に付き添ってくれた友人はもちろん、家族のお陰だ。感謝したい。

ソウル市庁前に位置するソウル広場スケート場
笑顔でピース! 楽しく滑っていたはずが……
転倒して骨折。日本で手術を受けることに……

感謝してもしきれない、お世話になった・大好きな人

ここでは、私の友人の一人を紹介したい。
彼女はコロンビア出身で、当時ハニャン大学の4年生だった。渡航してまもなく語学院の春学期が始まったが、初日の授業後に声をかけてみたところ、とても気さくに接してくれたのが印象に残っている。それ以降、会うたびに話をしたり、一緒に食事をしたりすることが増えたが、私がピンチの度に救ってくれたのが彼女だった。
まず、学習面に関して常に役立つアドバイスをくれた。英語のプレゼンに四苦八苦していたときは、深夜1時過ぎまで構成を一緒に考えてくれたり、家庭教師に応募する際の英語のエッセイに自信がなかったときも、何時間も丁寧に添削をしてくれたりしたことは、今でも鮮明に覚えている。 “Your assignment is also my assignment.”という一言。この先もずっと忘れることはないだろう。また、怪我をして一時帰国するときも、動作が大変な私を手伝いながら空港まで送ってくれた。そして、学業優秀な彼女は、母語のスペイン語のほか英語をアメリカ人と同じくらい自由に操り、ドイツ語や中国語にも堪能で、常に私の目標だった。
今、私はソウル大学で国際学を学んでいるが、彼女もまた違う大学の大学院で国際関係を専攻している。実は国際学という選択も、彼女から受けた影響が大きい。優秀なだけでなく寛大な彼女を人として尊敬しており、いつも感謝している。素敵な友人だ。

初めて出会ったのはハニャン大学の語学院(この真向かい)
交換留学時代、私の帰国前に焼肉に行ったときの1枚♪
彼女のお陰でプレゼンも自信を持ってできた!感謝!

この国のことが、とても好きになった瞬間

私は韓国が好きだ。韓国人の好きな点を2つ挙げたい。
1つ目に、周りの人々を愛する気持ちをよく表現する点だ。例えば、韓国にはイベントや記念日が多い。11月11日は「ペペロデー」と呼ばれており、ペペロというお菓子を友達・恋人やお世話になっている人に渡す。その時期には、あらゆる店の前にギフトがずらりと並び、規模の大きさと華やかさに圧倒された。また、5月15日は「先生の日」で恩師に贈り物をするが、こちらも盛大だ。プレゼント自体に意味があるわけではなく、とりわけ教育現場での贈り物や金銭の授受は賛美両論を呼んでおり深刻な社会問題だと思うが、身近な人への感謝や友情を折にふれて体現する韓国の文化には心温まるものを感じる。
2つ目に、連帯感が顕著な点だ。単にグループ行動が好きということではなく、集団への帰属意識が顕著で積極的に貢献しようという姿勢が印象的だ。例えば、韓国の学生は愛校心が強い。キャンパスを歩けば、どこの大学でも各学科やサークルで作ったジャンパーを着た学生を多く見かける。また、「学生会」があり、選挙で選ばれた学生たちがリーダーとなって学科の活動を運営するのも大きな特徴だ。私自身集団行動は苦手なほうだが、団体内への所属感と自主性には好感が持てる。
日本人と似ているようで、実は異なる韓国人。違いを発見するのは面白い。暮らしてみて、共に学んでみて、分かることが必ずある。

11月11日はペペロデー♪ メッセージ入りの箱にほっこり^^
ハニャン大のジャンパー! 入学年度と学科が一目で分かる!!
ソウル大学のGSISパーカー 大学院にもグッズがある!

「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」こと

  • 語学力 : 英語

1年間の留学の後半。韓国語の授業と平行して、大学の一般講義を履修し始めた頃、英語で聞く専門講義は大きな「試練」のように感じられた。なぜなら、学部時代は英語科に所属しておりほぼ英語を毎日学んではいたものの、英語で実施される科目はネイティブスピーカーの先生による数少ない授業に限定されていたからだ。つまり、「英語を学ぶ」のではなく「英語で学ぶ」経験はほぼ皆無だった。
上の課題に対する解決策を2つ述べたい。1つ目に「慣れ」だ。当初は授業に参加することに大きな緊張を覚え、毎回の予習として課される大量のリーディング課題やプレゼンが大きな負担に感じられた。実際、授業では教授の話をほとんど理解できなかったり、予習まで手が回らずに最低限の課題をするだけになってしまったりと、四苦八苦した。しかし、分からなくても一生懸命に参加することで要領をつかみ、次第に英語で活動することへの抵抗や不安が減り、最終的に納得のいく評価をもらったことで自信を得た。
第二に、「目標を持つ」ことだ。ハニャン大学の講義では、勤勉さ・英語力・表現力の点で韓国人学生から良い刺激を沢山受け、彼らこそ私の目標だった。まず、学生は皆一生懸命で、常に全力だという印象を受けた。授業中に居眠りをする学生はおらず、24時間利用可能な図書館は学生であふれていた。また、専攻問わず皆英語が堪能であった。ネイティブレベルに近い学生もおり、専門科目でも教養科目でも大変驚かされた。表現力についても、疑問をその場で解決しようと積極的に発言したり、自らの考えを臆せず述べたりする姿が随所に見られた。レベルの高い環境で優秀な学生と共に学んだことで、意欲が向上し難題も克服できたように思う。
最後に、大学の一般講義を履修できることは交換留学生の特権だ。英語で学ぶ経験を通して大きく成長できた。挑戦して心から良かったと思う。

初めてのポスタープレゼン!!
ある日の授業風景~プレゼンやグループワークは授業の要~
言語学のノート 帰国後の卒論のヒントに!

real polyglotになろう!

  • 語学力 : その他の言語

渡航当初、韓国語は壁だった。幼い頃から韓国には家族と旅行で訪れており、大学1年次に初修外国語の授業で韓国語を始めたものの、当時の韓国語力はまさに初級だった。今では韓国人と話すと外国人だと気付かれないくらい韓国語が上達したが、初めは話すことの難しさと恥ずかしさから韓国人に対しても英語を使うことが多く、韓国語が同級の友人がサークルで積極的に韓国語を使っているのを見て劣等感すら覚えたものだ。
解決策として、授業に熱心に参加することを挙げたい。初めは「韓国語を韓国人の先生から韓国語で学ぶ」ことに難しさを感じたが、あらゆる課題に一生懸命に取り組むうちに自らの成長を感じられた。例えば、演劇大会ではリーダーと主役という責任ある役割を務めた。大勢で一つのものを創り上げることの難しさを実感し、自らの力量不足に悔しさも覚えたが、様々な国の仲間と外国語で一つの作品を創り上げたことは貴重な経験だった。また、グループプレゼン大会でもリーダーを務め、キャンパス内でのアンケート調査など精力的に活動し、優勝できたことに感動した。このような行事で多くの人の前で韓国語の発表をしたことは、実力アップと以後の自信につながったと思う。日々の授業でも、発音矯正のために先生に課題を録音させてもらい何度も何度も練習した。語学力は急に上がるものではなく、”고생 끝에 낙이 온다”(苦は楽の種)というように成功までには苦労が付き物だが、懸命に学べば必ず上達するはずだ。
根底にあったのは、負けず嫌いの精神、そして何より色んな外国語を操れるようになりたいという強い思いだ。私は外国語の学習が大好きで幼少期から英語を学んできたし、留学を終えてからもスペイン語を続けたり中国語研修に行ったり外国語に多く触れてきた。「好き」という気持ちが一番の原動力になると思う。外国語の上達には意欲と練習が大切だ。

語学院のテキスト 表紙の色が違うように各級で素敵な経験!
語学院4級でのグループプレゼン大会で優勝!!
構内の"I-CAFE" 韓国語学習に活用した思い出の場所^^

真にinternationalになるために

  • 帰国後の進路 : 進学

人と集まるより1人でいるほうが楽だと思いがちな私。友達は多くないほうだ。振り返ってみれば人との「交流」は常に私のchallenge(=課題)であったが、ソウルでの出会いは大学卒業後の進路を決めるうえでも大きな糧となった。
留学後半になり、寮や大学の講義、サークルなどで出会った友達と食事や散策をする機会が自然と増えた。交流という点では、PCを使う目的でよく寮のロビーにいたこと、大学の一般講義を履修したり、サークルに加入したりしたことが功を奏したと思う。私のサークルは国際ボランティア系で、留学生が多く所属していた。language exchangeの他、施設でのボランティアに参加したり、夕食やお酒を楽しみながらメンバーとの交流を図ったりした。新学期にはMT(Membership Training)として郊外の民宿に一泊したことも印象に残っている。韓国の学生の雰囲気を肌で感じるとともに、友人の輪が広がった。多様な国の友人一人ひとりと語り合うのは本当に楽しく、気質の違いから日本人と過ごすより窮屈に感じないこともあり、自分自身が大きく変わったようだった。また、英語を使うことに抵抗がなくなったが、語学力よりむしろ貴重な「友達」の存在、そして何より彼らから学んだことのほうが大きかった。
親しくなった友人の多くは豊富な海外経験を有し、 勤勉で優秀な人々だった。そして、彼らとの出会いはかけがえのないもので、更にハイレベルな環境で学び続けたいという気持ちを後押ししてくれた。多くの日本人学生は日本人同士やアジアの人々の付き合いが多い印象を受けたが、学びを人生経験をより実り多いものにするには、色々な国の人々と互いに歩み寄り学び合うことが必要だ。それこそ留学の醍醐味であり、本当の意味でinternationalになるということだろう。ソウルで得た友人たちは私の宝物だ。

ハニャン大学のシンボル 交換留学が私の今につながっている
ハニャン大学寄宿舎のロビー、ここが「交流の場」だった!
私が学ぶソウル大学 この門をくぐるのは難しい!

留学前にやっておけばよかったこと

留学準備に関して、後悔していることは特にない。大学の立地や雰囲気を実際に知るために前年の夏休みを利用して母と大学に下見に行ったり、語学学習に関しては2年次に大学で韓国語の授業を履修できなかったため学外の韓国語教室でマンツーマンレッスンを受けたりし、自分なりに十分な用意をできたと思う。実際、韓国は何度も訪れていたこともあって過度な不安なく渡航し、新しい環境にもすぐに適応することができた。

留学を勧める・勧めない理由

私は留学を勧めたい。なぜなら、これまで生きてきた環境と全く異なる「外の世界」に踏み出すことで、自分に足りないものを見出せるからだ。学部時代には交換留学や短期での語学研修などを経験をし、今は韓国の大学院で勉強しているが、異国で多様な国の人々と共に学ぶ中で自分が如何に未熟であるかを日々実感している。厳しい環境では「弱さ」が露呈するものだが、それを知ることこそ全ての始まりだ。

これから留学へ行く人へのメッセージ

留学は、明確な目的と主体的な行動があればこそ、必ずや成長の糧になるはずだ。例えば「海外に住めば英語がぺらぺらになる」は単なる神話に過ぎない。1年やそれ以上現地で学んでいても言語に堪能でない人は意外に多い。自分を高め輝くためには、大きな夢と小さな目標が必要だ。時間的・経済的投資が有意義となるか否かはあなた次第。今という瞬間を大切に、一生に一度きりの素敵な経験をしてほしい。